第2回上映後Q&A

会場:ソニーセンターArsenal
日時:2月9日10:00〜
独語字幕版・満席
(通訳)梶村 昌世
(出演)森崎  東【監督】
倍賞美津子【女優】
    志摩  敏樹【プロデューサー】

前日とはうって変わってガラス張りの現代的な劇場建築。ベルリンは過去と未来が融合する街のようだ。
ロビーは淡いグレーを基調に、モスグリーンのソファ。周りに青いパネルや黄色い壁。中間色と原色が嫌味なく配色されている。ホール内は、黒のような濃いグレー。赤い座席とカーテンが浮き立つ。シックでモダンな内装。
ちなみにこの劇場、フォーラム部門のディレクター、グレゴール氏の持ち小屋。劇場名【Arsenal】は、《兵器庫、工廠》の意。ソビエト(現・ロシア)映画の『武器庫』(アレクサンドル・ドブジェンコ監督/1929年)のタイトルからとった名だという。鉄のカーテンの頃、東西映画祭一挙上映を実現しようと運動したグレゴール氏にとって、映画は世界へ向ける或る種の武器だった。海外で未だ知られていない森﨑作品はいわば、秘密兵器といったところか。
グレゴール氏に代わり別の男性司会者に招かれ、壇上に上がる3人。倍賞さんの登場に、とりわけ大きな歓声が上がる。
※(以前に触れた同じ内容の質問、回答は出来る限り割愛)

●森﨑「まず先に質問をさせてください。土曜日だというのに、映画を観るために朝8時や9時から並んで、しかもこれだけの劇場が満席になるというのは、ベルリンではよくあることなのでしょうか。ちなみに、日本では奇跡です」
 ◆場内大爆笑と拍手。
●司会者「(笑)普段は私たちもこんなことはありません。でも映画祭期間中では、当たり前ですね」
●森﨑「当たり前ですか…。了解しました」

●司会者「監督とプロデューサーの志摩さんには面白い出会いがあるそうですが」
●森﨑「志摩さんが昔、私の映画を観に来てくださって、私はその舞台挨拶の時にスピーチは苦手なので歌を歌いました。変な監督だなと思ったようですが、それ以来、20年の時を経て、この作品で再び出会ったわけです」
●志摩「私は当時学生で、ファンとして監督のお話を聞きに行ったのですが、突然歌いだされたのでびっくりしました。監督の映画では、デビュー作からすべて、登場人物が歌を歌います。まさに監督ご自身が、その登場人物の1人であるような気がしました。その時の映画は『ニュークリア・ジプシー』というタイトルで(『生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ党宣言』の英題)、倍賞さんと原田芳雄さんが主役だったのです。20年後にやっと監督のもとを訪ね、倍賞さん、原田さん主演で『ニュークリア・ジプシー』のような作品を撮ってくださいとお願いして、今ここに、こうしているわけです」
●森﨑「(倍賞さんに)あなたあの映画に出てたんだから、何か言って下さい」
●倍賞「(笑)はいはい。その時の映画は、原発を扱った作品でした。今回も汚職やいろんな日本の社会問題が満載なので素直に受け入れられるかなぁなんて心配しましたけど、皆さんにも喜んでもらえたし大丈夫みたいですね。安心しました。だいたい監督の映画は、社会問題満載の作品が多いんですよ(笑)。」
●森﨑「よけいなことまで言わなくていいです(笑)」
●青年・男性客「この映画のようにリアルな社会問題を含めてヤクザやマフィアを描くことは、映画監督やプロデューサーや役者であっても危険だと思うのですが、日本ではこういう描写によって暴力や脅しを受けるようなことはないのですか」
●森﨑「『山谷(やま) やられたらやりかえせ』という映画を製作中に、佐藤満夫という監督が殺されました。彼の意を継ぎ山岡強一という助監督がその作品を完成させましたが、やはり殺されてしまいました」
   ◆シニカルなジョークと捉えられ、場内に笑いが起こる。
0512●森﨑「笑いごとではありません」

●司会者「舞台となった舞鶴は、日本の歴史上においてどのような街なのでしょうか」
●志摩「舞鶴は、約100年ほど前に、鎮守府と称して日本海軍が置かれた街です。それは地形的に、軍港としてふさわしかったからです。以降戦争と密接に近代化が進められました。軍中心の近代化は舞鶴に、歪みのようなものを生じさせまして、その歪みは今でも残っています。監督はそんなところに関心を持たれたわけです。監督がこれまで描いてきた日本の中心的な人々ではない、《周辺に生きる人々》というテーマと重なったのではないかと思います。それに同調してなのか、こういったテーマの映画ではありますが、市民も警察も海上自衛隊も、舞鶴では協力的に映画に参加してくれました」
●中年・男性客「役者なのか判らないくらい、兄妹たちが非常に魅力的なのですが、お兄ちゃん役の子は、知的障害のある子供ですか。そうでないなら知的障害のある子のキャスティングは考えましたか」
●森﨑「とても悩みました。知的障害の方にあの役を演じてもらいたいのはやまやまでしたが、撮影には台詞のこと、演じてもらうこと以外にも難しいことがありますから。だから、演技というより、知的障害の方の持つ純粋さや大らかさが自然と自ずから出てくる子を探すことにしました。非常に大勢の子たちと会い、たまたま浜上くんという少年に出会いました。彼がボーっとした顔で私を見て笑いかけたのを見て、この子ならいけるかなと思ったわけです。倍賞さんに、母親を演じて、彼の印象はどうだったのか語って貰います(と、いきなりマイクを渡す)」
●倍賞「えっ(と、受け取り)…サム役の浜上くんは、笑顔が素直できれいだと思いました」
●中年・女性客「少年の妹がとてもおかしくてかわいいのですが、あの女の子が持っていた人形は宗教的なものですか」
●森﨑「創作したものです」
●青年・男性客「火を扱った祭りのようなものに宗教的なものを感じますが、あの事件自体に宗教的な意味があるのでしょうか、それとも監督の記憶やあの土地自体の歴史に宗教的な意味があるのでしょうか」
●森﨑「特に宗教が強い意味を持っているわけではありません。私の記憶にも映画自体にも、舞台になった土地にも……。
 映画の中でも語っていますが、あの土地で海軍の船の爆発で亡くなった500人もの朝鮮の人々に対してのお弔いをしたいという、そんな映画にしたいという想いがどうしてもあります。実は私も海軍の飛行兵に志願したことがあり、また僕の兄は日本が戦争に負けたとき、ハラキリで自決しました。そういう戦争への記憶が私の中で色濃くありまして、この作品に娯楽的なものだけでなく、宗教的なものを感じられたとすれば、そういう記憶や想いに私が引寄せられているという力学的な理由じゃないかと思います。人の形をした紙縒りには、過去への想い、そしてその反面というかその過去があるからこそ過去に囚われすぎずに未来に向かって頑張っていこうという想いを込めました。タイトルの《ニワトリはハダシだ》という言葉は、そういう意味の言葉で…」
●通訳の梶村女史「あ、あの、すいません。ここまで一度訳していいでしょうか」
●森﨑「あ…どうぞ、お願いします」
   ◆場内に笑い
●森﨑「(通訳後、梶村女史に)どうもごめんなさい。で、《ニワトリはハダシだ》というタイトルの由来は日本の民謡の歌詞でして、さぁ春だ0521!みんな元気出して畑を耕して行こう、という歌です。今日は皆さんにスピーチの代わりに歌おうかとも思いましたが、時間が許しませんので。以上です」
   ◆是非にという声と拍手が起きるが…
●森﨑「…(勘弁して下さいと、慌てて手を振る)」
●司会者「では最後に。倍賞さんは、先ほど監督の作品は社会性の強いものが多いとおっしゃいましたが、だからこそ惹かれる何かがあるのだと思います。倍賞さんにとって、それは何だとお考えですか」
●倍賞「そうですね…監督の中にある《怒り》のようなものが好きですね。常に何かに対して怒っている。違うものに対してかも知れませんが、私の中にもある《怒り》のようなものが、共感しているのかもしれません。それと同時に、監督の映画の中ではすべての人に愛がある。気障に聞こえるかもしれませんけど、人間を愛しているというか、愛情にあふれていると思うんです。特に、社会の底辺を必死になって生きているような人たちが好きなんだと感じます。また、その底辺に生きている人たちのエネルギーは権力をも打ち砕くのだという、そんな描き方に惹かれますね」
    ◆会場喝采

 

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