『ペコロスの母に会いに行く』と「早春賦」

 池田博明

 「早春賦」を女学生が合唱している場面は、最初の台本にはなかった。山根貞男さんは撮影監督の浜田毅さんとの対談で、森崎監督に「何で『早春賦』なんですか」と突っ込んで訊いたって「俺だって分からん」となる、森崎さん独特の何かが映画にポッと出てくる時の「何か」は一番歌に出ている、と発言している(「映画芸術」63巻第4号)。
この映画で『早春賦』は、みつえ(赤木春恵)の記憶する唄のなかで、もっとも重要な唄である。貧しいうえに弟妹の世話をしなければならず、女学校に行けなかったみつえが、幼馴染のちえこと一緒にのぞいた教室で、憧れの女学生たちが歌っていた唄には、いったいどんな意味があるのだろうか。
それを理解するために、『早春賦』の成り立ちを見てみよう。
吉丸一昌が『早春賦』を作詞したのは大正元年11月2日と記録されている。明治天皇が7月30日に崩御、元号が大正に変わった直後である。歌詞には、春への期待ではやる気持と、「歌は思へど 時にあらずと 聲も立てず」というくだりには、きびしい冬が続いているけれども、という認識が読み取れる。吉丸一昌は苦学して東京帝国大学を卒業、明治41年に東京音楽学校(現・東京芸術大学)の教授に就任、『尋常小学唱歌』編纂委員で歌詞の主任に任命された。しかし、文部省の求めるあまりにも道徳的な方針に常に批判的な態度を取り続けた。
吉丸が学生の作曲用テキストとして書いた詞に曲を付けたのは在学生の中田章だった。歌は大正2年2月発行の吉丸編『新作唱歌 三』(敬文館発行)に収録された。曲はモーツアルトの「春へのあこがれ(五月の歌)」に似ている。興味深いことに、どちらも春への期待を歌う唄である。
映画のなかで、合唱指導の教師(宇崎竜童)が「聲も立てず」という歌詞だが、小さな声で歌ってはいけない、春が来るという希望の気持ちだから大きな声で歌うんだと指導する。Eテレの番組「記憶は愛である」(2013年12月21日放送)でも、森崎監督が宇崎竜童に「もっと大きく」と演出していた。この指摘は妥当であろう。「早春賦」は単なる季節の歌ではないのである。時代におしつぶされずに生きようという抵抗の唄なのである。坂本龍一監修のCD「にほんのうた」第三集では吉田美奈子が「早春賦」をゴスペルとして歌っていたが、それも妥当な解釈であった。
まるで通奏低音のように、みつえが想い出す「早春賦」はいろいろな思いのつまった唄である。
また、吉丸一昌は、大分県北海部郡海添村 (現・臼杵市海添)で生まれ、上京前に熊本の第五高等学校 (現・熊本大学)で学んでいる。臼杵市には吉丸一昌記念館「早春賦の館」がある。吉丸の故郷は、ペコロスの母の故郷、長崎に近い。吉丸は大正5年3月、『新作唱歌』十冊の刊行後に急逝した。43歳の若さであった。

参考資料「池田小百合 なっとく童謡・唱歌」(ウェブ上)
[2014年2月2日 ヨコハマ映画祭にて]

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